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坂本龍馬暗殺の犯人は誰か? 被疑者の動機と状況から捜査する

あの歴史的事件の犯人を追う! 歴史警察 第2回

4、紀州藩
 近江屋事件がおこる半年ほど前の慶応3年5月26日、坂本龍馬率いる海援隊が伊予大洲藩から借り受けて長崎から大坂に廻航させていた蒸気船「いろは丸」が、瀬戸内海で紀州藩の藩船と衝突し沈没してしまう。紀州藩は、徳川御三家のひとつであり、幕府にも近い。しかし、坂本龍馬は、この紀州藩を訴え、賠償金を支払われている。この交渉を不服とする紀州藩が近江屋事件を引き起こしたとするが、実際、海援隊士の陸奥宗光らは、賠償交渉の責任者であった三浦休太郎が新撰組をけしかけたとみていたらしい。12月7日、京都六条の旅籠天満屋に投宿していた三浦休太郎を、陸援隊と海援隊が襲撃したのである。これを天満屋事件という。このとき、三浦休太郎は新撰組に警護を依頼していたため、陸援隊と海援隊は新撰組と斬り合いになり、結果的に、三浦休太郎を殺害することはできなかった。

5、土佐藩

イラスト/ 羽黒陽子

 坂本龍馬と中岡慎太郎は、ともに土佐藩の出身であったが、その土佐藩が黒幕だったとの見方もある。坂本龍馬が土佐藩邸に入らず、近江屋を定宿としていたのは、自由に生活できるからといわれることもある。ただ、土佐藩を頼りとしたい反面、土佐藩邸には意見を異なる藩士がいて、身の危険を感じることがあったのかもしれない。わざわざ土佐藩邸とは目と鼻の先にある近江屋を選んだのも、それが理由であったろう。土佐藩のなかでも、特に後藤象二郎が、大政奉還の功績を独り占めするため、殺害したとの見る向きもある。しかし、大政奉還はなにも中岡慎太郎や坂本龍馬だけで成し遂げられたものではないし、両名を殺害したからといって、後藤象二郎の評価が高まるわけでもない。

■極めて現実的な怨恨

 さて、こうみてくると、もっとも疑わしいのは、やはり京都見廻組ということになる。坂本龍馬は、前年の寺田屋事件で伏見奉行所の役人数名を殺傷しており、幕府に狙われる理由は十分にあった。それは、坂本龍馬の進めた大政奉還に異を唱える佐幕派の鬱憤といった政治的なものではなく、幕府の役人を殺害したという極めて現実的な怨恨によるものであったことになる。幕府見廻組が、自力で坂本龍馬の潜伏先を見つけたのかはわからない。伏見奉行所の役人か紀州藩士など、坂本龍馬に個人的な恨みをもつ人間が、京都見廻組に情報を流した可能性もある。いずれにしても、こうした情報をもとに、京都見廻組は、坂本龍馬の暗殺に及んだのではないか。京都見廻組がこれを公表しなかったのは、幕府の許可を得たものではなかったからであろう。有志が実力行使におよんだものであり、そのため、暗殺という手段を用いたものと考えられる。

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小和田 泰経

おわだ やすつね

1972年東京都生まれ。静岡英和学院大学講師。主な著書に『天空の城を行く』(平凡社)、『戦国合戦史事典 存亡を懸けた戦国864の戦い』、『兵法 勝ち残るための戦略と戦術』(ともに新紀元社)他。


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